sensou_senjou
1 風吹けば名無し 2021/02/01(月) 21:13:52.12 ID:7hAfO1gZd やばすぎでしょ 3 風吹けば名無し 2021/02/01(月) 21:14:45.16 ID:7HyPHrXNd ヒトラーがどうしても落としたかったからな 4 風吹けば名無し 2021/02/01(月) 21:15:30.70 ID:3rRupEMR0 ドイツってそんな兵隊ドバドバおったんやな 9 大阪鷹 ◆Vljzt4qUzA 2021/02/01(月) 21:17:24.85 ID:P3HVnKyX0 >>4
ドイツ軍10万
ソ連軍&民間人(パルチザン含む)90万
くらいの比率のはず スターリングラード攻防戦 - Wikipediaスターリングラード攻防戦(スターリングラードこうぼうせん、英語: Battle of Stalingrad, 1942年6月28日 - 1943年2月2日)は、第二次世界大戦の独ソ戦において、ソビエト連邦領内のヴォルガ川西岸に広がる工業都市スターリングラード(現ヴォルゴグラード)を巡り繰り広げられた、ドイツ、ルーマニア、イタリア、ハンガリー、およびクロアチアからなる枢軸軍とソビエト赤軍の戦いである。スターリングラードは元来ドイツ軍のブラウ作戦における副次的目標の一つに過ぎなかったが、史上最大規模の市街戦に拡大した。緒戦は枢軸軍側の優位に進み、市街地の90%以上を占領したものの、最終的にはソ連軍側の反攻により、ドイツ第6軍を主軸とする枢軸軍が包囲され、降伏した。独ソ戦の趨勢を決し、第二次世界大戦の転換点のひとつとなった。米国の軍史家イヴァン・ミュージカントはこの戦を「ミッドウェイ海戦、エル・アラメインの戦い、第三次ソロモン海戦」と同じく第二次世界大戦の転換点であると位置づけている[5]。死傷者数はソンムの戦いなどの第一次世界大戦の激戦を超える規模で、枢軸側が約85万人、ソビエト側が約120万人、計200万人前後と見積もられた。街は瓦礫の山と化し、開戦前に60万を数えた住民が終結時点でおよそ9800名にまで減少した。続きを読む

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