1 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:22/05/23(月) 23:59:16 ID:6yEL一(右)コンスタンティノス5世二(一)アナスタシウス1世三(二)ヘラクレイオス四(遊)バシレイオス2世五(中)アレクシオス1世六(左)ヨハネス2世七(三)レオーン3世八(捕)ミカエル8世九(投)テオドロス1世中継ぎ レオーン6世抑え コンスタンティノス11世監督 ユスティニアヌス1世異論は認める2 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:22/05/24(火) 00:00:05 ID:r0n7解説いくでーコンスタンティノス5世 イサウリア朝代2代皇帝。かの聖像禁止令で有名なレオーン3世の息子。 対外戦争が滅法強く、勢力が弱まっていたウマイヤ朝と戦い北シリア、アルメニア、メソポタミアといった旧領を回復。イスラームに握られっぱなしだった主導権を取り戻したことに加え、天敵のブルガリアに対して九回遠征を仕掛け勝利し弱体化させるという大正義っぷりを発揮。皇帝直属の中央軍を編成したのも彼。軍隊関連での輝かしい業績が多いので、民衆からは軍神と讃えられていた。 ただ宗教関連に関しては、親父の路線を継承しイコンを厳しく弾圧したため、イコン擁護派の聖職者から「コプロニュモス」(う○こ)と呼ばれることとなってしまう。赤ん坊の時の洗礼の時に脱糞してるという記録があるので残当とも言えなくもない。 武闘派だが糞というイメージがつきまとうというのは、どこぞのJ民を思い起こさせる。続きを読む

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