1: 名無しのニュー速クオリティさん 2020/11/10(火) 00:52:41.64 ID:lnMTiOTe0.net https://img.5ch.net/ico/nida.gif
『サンデーモーニング』(TBS系)のご意見番として「喝!」を連発し、辛口コメントはたちまち炎上。
御年79歳、甲子園を夢見た男・張本勲の半生は、壮絶そのものだった――。

 ネット上でも「老害」と、論争を巻き起こしたが、張本は世間の批判などどこ吹く風。なぜなら、この男の潜り抜けてきた修羅場は生半可なものではないのだから。
1940年6月19日、広島で生を受けた張本は、段原地区で育った。平屋が密集した地域であり、張本一家の生活は厳しいものだった。従兄弟の張本正熙さんが述懐する。
「うちも勲のところも貧乏やった。でも体は大きくてね。故郷の韓国では、祝い事のときに『トック』といって、米の餅を汁の中に入れる料理があるんだけど、勲は5杯食べていたね」

食欲旺盛だった勲少年は、やがて子分を引き連れて歩くガキ大将に成長。

「勲が中坊のころ、ヤクザが勲の姉に『映画女優にしたる』と言い寄った。で、私の兄がそのヤクザを捕まえて、勲に『コイツが姉さんを騙した奴や。
ワシが見とるけぇ、2人で決闘せい。刃物は持つな。素手でやれ』と。
すると、勲はヤクザを半殺しにしてしもうた。勲は喧嘩では負け知らずだったが、絶対に弱い者いじめだけはしなかった」

武勇伝には事欠かない。

「段原地区にはいろんな奴がおって、夏は腹巻、ステテコ、雪駄でうろついていた。
あるとき、そんな男が中学校に乗り込んできて、勲に『投げろ!』と。でも、勲は投げない。
チンピラはバットを持ったまま、『おんどりゃあ!』と迫ってきたが、勲はバットを取り上げてぶちのめした。

 また「気配りの男で、義理人情に厚い男だった」と語るのは、高校の先輩の肘井康浩さんだ。
「いまも変わらんのが挨拶です。待ち合わせの店に必ず先に行って、我々が着くと立ち上がって挨拶するんです。
また、入院している先輩の見舞いに行くと、『早くよくなってください』と涙を流す。

学生時代はヤクザを半殺しに…「張本勲」人情武闘派79年史
https://smart-flash.jp/sports/85426
【本編公開15分】『浪商ヤマモトじゃ!?』?張本勲との出会い~
https://youtu.be/_oMqucsE6W0





引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1604937161/続きを読む

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