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1 アバカビル(東京都) [ニダ] 2021/03/25(木) 20:28:29.71 ID:Rya8QVj70 BE:306759112-BRZ(11000) sssp://img.5ch.net/ico/kita1.gif
 宮崎駿監督が12年以上の歳月をかけて完成させた漫画『風の谷のナウシカ』。
コロナ禍の現在こそ、改めて読み込みたいと考え、スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さん(72)に話を聞いた。抱腹絶倒の「連載当時の打ち明け話」を一部紹介する。
 ――漫画『風の谷のナウシカ』の連載が徳間書店の雑誌「アニメージュ」で始まった1982年当時、鈴木さんは同誌の編集部に在籍されていましたね。『ナウシカ』の連載はどのようにして始まったのでしょうか。 「宮さんが初めて劇場用映画の監督を務めた『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)の興行が大失敗してしまった。映画の世界って、1本でも当たらないと、その後がなかなか続かないんですよ。それでね、『この先はなさそうだから、アニメーターから足を洗おうか』と考えていた時期があったんです」 「そのころ、彼が一番やりたかったのは絵本です。『鈴木さん、絵本の世界でメシが食えるかな?』と聞かれた。僕は『申し訳ないけどそれは無理だ』と即答しました。彼は『そんなに大変か』と肩を落としていました」 ――今になってみると、信じられない話ですね。 「ちょうどその頃、徳間書店グループ内では『映像企画が必要』という話になっていた。そこで、僕は宮さんが映画のために描きためてきた絵をまとめ上げて、映像企画会議に持ち込んだ」 「ところが、映画畑の人たちからは『原作もなく、いきなりオリジナル企画で映画を作るなんてありえない』と言われてしまった。
それを宮さんに伝えたら、『わかりました。だったら原作の漫画、やっちゃいましょうよ』という話になり、『ナウシカ』へとつながったんです」  宮崎監督へ「絵本は無理だ」 鈴木P語るナウシカ舞台裏
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