1: 名無しのニュー速クオリティさん 2021/05/11(火) 13:40:12 https://maidonanews.jp/article/14345624
■阪神・淡路大震災「覚えていない」
“最後”の入院は23歳のとき。「最初に点滴をして、部屋を変わった」後の記憶は、おぼろげだ。病院は阪神・淡路大震災の激震地にあったはずだが、震災のことは「覚えていないね…」と言う。
これほど長期の入院が、症状のせいなのか、家族の事情のためだったのか、理由は分からない。ただ、「(医者に)何にも言われんかったから、(退院を)考えたこともなかった」と男性。ところが10年ほど前、先に退院した元同室の知人に外の世界のことを聞き、「自分も退院したい」と医師に申し出たところ、すんなり退院を許可されたという。折しも長期入院への批判が高まっていたころだった。
■履歴書に書く職歴が無い それでも「働きたい」
男性は本格的な就労に向け、自らの障害の特性を理解しながら仕事を進める訓練をする「就労移行支援事業所」に移り、ハローワークに登録して就職活動を始めた。だが、すぐに「長期入院」という壁が立ちはだかった。履歴書に書く職歴はなく、「23年」という入院期間を目にすると、障害に理解のある事業所ですら難色を示した。
それでも男性は「一度は働きたい」とあきらめなかった。
引用元: https://girlschannel.net/topics/3366541/続きを読む